春の舞姫

○「春の舞姫」とか「春の女神」と呼ばれる 、きれいなチョウがいるそうですが、どんなチョウですか?

アゲハチョウ科のギフチョウとヒメギフチョウが、そう呼 ばれています。黄色と黒のしま模様から「だんだらチョウ」とも呼ばれる、美しいチョウです。

ギフチョウ

ヒメギフチョウ

 ギフチョウは、名和靖氏が岐阜県で発見して命名したことに由来します。ギフチョウに良く似ていて、やや小型で黄色部が多いものをヒメギフチョウといいます。ギフチョウは世界の中で日本のみに生息し、ヒメギフチョウも日本、朝鮮、中国の一部のみに生息する、東アジア特産の貴重なチョウです。
 詳しくは、群馬県指定天然記念物ヒメギフチョウ −生態と保護− をご覧ください。

○なぜ、こんなにきれいな呼び名を持つのですか?


 ギフチョウとヒメギフチョウは、日本各地の山麓地帯に住んでいます。そして、その土地の春、 さくらが咲く4月から5月にかけて、ほかの昆虫がほとんど姿を見せていない里山に、黄色と黒のだんだら模様の美しい姿を見せます。それはちょうど、カタクリやスミレが可憐な花を咲かせる季節であり、カタクリの蜜を吸うチョウの姿が、春の美しい象徴として強い印象を残すからでしょう。

○ギフチョウやヒメギフチョウの貴重さはどんなところにありますか?

 チョウの数や居る場所は、幼虫の食べる植物の種類や量に大きく左右されます。ギフチョウの幼虫はカンアオイ、ヒメギフチョウの幼虫はウスバサイシンやオクエゾサイシンを食べます。山麓の雑木林に育つこれらの植物は、まばらに生える小さな下草で、大きな群落を作ることはありません。そのため、幼虫はひとつの株を食いつくすと地上を歩いて他の株へ移ります。その間にいろいろな動物に襲われて食べられてしまいます。だから、ギフチョウやヒメギフチョウの数は、ごく限られています。
 また、カンアオイやウスバサイシンの葉の食べごろは春先だけなのです。だから、ギフチョウもヒメギフチョウも一年に一回、春先だけに親のチョウが現れて食草に卵を産み、幼虫は葉を食べて育つと、6月の終わりにはもうさなぎになって、夏・秋・冬とサナギのままずっと春が来るのを待っています。
 そのうえ、原始的な被子植物であるウマノスズクサ科に属するカンアオイやウスバサイシンは気むずかしい植物で、どこにでも繁茂するというものではありません。しかも、土地によってチョウの好みが違います。ですから、ギフチョウやヒメギフチョウは、ごく限られた場所にしか生息していないのです。里山の荒廃など生息環境の変化で、絶滅した地域も少なくありません。
 しかも、その生態からギフチョウ、ヒメギフチョウは、氷河期の頃から地球環境の変化に耐え、生き残ったと考えられ、地史的にも興味深いチョウなのです。
 こうしたことから、各地で天然記念物として扱われることも多い、大変貴重なチョウといっていいでしょう。

○スプリング・エフェメラル

 長い蛹期間を過ごしヒメギフチョウの成虫が飛ぶのは、早春の2週間程度だけです。やわらかい春の日差しを謳歌するように、スミレやカタクリの蜜をもとめて飛び回ります。
 ヒメギフチョウの生息地は落葉広葉樹林です。赤城山ではミズナラやクリ、ミズキなどの林で、夏は葉をいっぱいに広げますが、冬には全ての葉を落としてしまいます。
 このような林に適応したのが、カタクリのようなスプリングエフェメラルと呼ばれる植物です。スプリングエフェメラルは木々の葉がまだ茂らず、林床まで充分に日が差し込む早春の
2カ月で芽を出し、葉を広げ、花を開き、実を結びますが、初夏になり木々の葉が茂り、林床には光が届かなくなる頃には枯れてしまい休眠に入ってしまいます。早春の日射しを最も有効に利用する生活をしています。ヒメギフチョウはこんなスプリングエフェメラルに似た生活をしています。
 4
月末の光が落葉広葉樹林の林床に柔らかく差し込む時期に成虫が羽化し、交尾し、産卵します。卵から孵化した幼虫も林床が日陰になる前に急いで成長し、6月末には蛹になります。そして、それから10ヶ月間、蛹のまま夏、冬を越し、翌年の春、再び成虫が羽化するのです。夏の間、落葉広葉樹林の木々の葉は、ヒメギフチョウの蛹を強い日射しから守ってくれます。
 春の舞姫、ヒメギフチョウはこのような落葉広葉樹林の一年と同調した生活を送っているので、落葉広葉樹林の中でなければ生きていけないのです。

参考文献
「チョウの羽はなぜ美しい?」    矢島 稔、宮沢輝夫 著
             読売新聞東京本社前橋支局 編、2005年 全国農村教育協会
「春の数えかた」 日高敏隆 著、2005年 新潮社文庫