春の陽光をあびながら杉林の上をとびまわり其の枝にとまるので採集は実に容易である。 捕虫網が一つではものたりない。採集放射器?とよばれるものでもあったらどんなに便利だろうと思うくらい、途中1、2頭のヒメギフテフをはじめての採集とはいえ棘ふみ分け山谷を下りつ上りつして追いまわしたことがおかしくなった。(1940.4.25)

 理科の教員だった田中恒司氏が、動植物に興味を持ち、チョウの研究を本格的に始めたのは戦前のことでした。物静かで几帳面な学者肌の人柄で、自分を貫き通す強い信念を持った人でした。
 ヒメギフチョウは関東地方では赤城山の一部にだけ生息しています。1940(昭和15)年に彼が出会い、生涯を通して研究を続けてきました。当時の赤城山敷島の山麓には、掃除機で吸い取りたくなるくらいにヒメギフチョウがいたそうです。しかし、今では山の開発などにより、ごく限られた場所にしか見られなくなってしまいました。
 ヒメギフチョウの生育には、幼虫が食するウスバサイシンという植物が育つ環境を整える必要があります。田中恒司氏の情熱は「赤城姫を愛する集まり」の人々に受け継がれ、現在も地道な調査と保護活動が行なわれています。また、彼の詳細なフィールドノートとチョウ標本、植物水彩画などは、群馬県立自然史博物館に保存されています。

「赤城山麓のヒメギフテフ」・・・1941年「ZEPHYRUS」に発表された出会いの ようす
田中恒司氏略年譜
「田中先生の思いで」・・・チョウ仲間の皆さんや教え子の皆さんなどから寄稿いただきました。
  田中恒司先生のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山賀幸二さん
  50年ぶりの再会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木暮 翠さん
  田中恒司先生の思い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉田龍司さん
  ヒメギフ産地を探索・田中恒司先生に連れられて・・・・・・・服部國士さん

  

本ホームページ内の田中恒司氏関係資料は、群馬県立自然史博物館の提供によります。また、著作権も群馬県立自然史博物館にあります。

群馬県立自然史博物館 第25回企画展
  「ニッポン・ヴンダーカマー荒俣宏の驚異宝物館」(2005.10.1〜11.27)

「コレクターの部屋」で田中氏は、田中市郎(山口県)、角田金五郎(前橋市)、長谷川善和(自然史博物館館長)とともに、取り上げられました。