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春の陽光をあびながら杉林の上をとびまわり其の枝にとまるので採集は実に容易である。 捕虫網が一つではものたりない。採集放射器?とよばれるものでもあったらどんなに便利だろうと思うくらい、途中1、2頭のヒメギフテフをはじめての採集とはいえ棘ふみ分け山谷を下りつ上りつして追いまわしたことがおかしくなった。(1940.4.25) |
理科の教員だった田中恒司氏が、動植物に興味を持ち、チョウの研究を本格的に始めたのは戦前のことでした。物静かで几帳面な学者肌の人柄で、自分を貫き通す強い信念を持った人でした。 |
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「赤城山麓のヒメギフテフ」・・・1941年「ZEPHYRUS」に発表された出会いの
ようす |
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本ホームページ内の田中恒司氏関係資料は、群馬県立自然史博物館の提供によります。また、著作権も群馬県立自然史博物館にあります。 |
群馬県立自然史博物館 第25回企画展 「ニッポン・ヴンダーカマー荒俣宏の驚異宝物館」(2005.10.1〜11.27) 「コレクターの部屋」で田中氏は、田中市郎(山口県)、角田金五郎(前橋市)、長谷川善和(自然史博物館館長)とともに、取り上げられました。 |
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